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選択・意志と現実化 [願望実現]

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ゼロポイント・・・・例えば、あなたが本を読もうと決めた瞬間、それは「選択」されたわけですから、ちゃんと読むという現実になります。現実化とは、「選択(決意)」することだからです。でも、読もうと決める「コンマ何秒か前」の瞬間には、本を読む可能性(本を観察する可能性)と、読まない可能性(観察しない可能性)との両方の現実が「重ね合わせ」の状態で、同時にゼロポイントに存在していたわけです。共存していたのです。

あなたが想像しうる「全ての現実(状況)」は、宇宙のゼロポイントに、意識エネルギーとして重ねあわせで共存しています。ゼロポイントに存在しない現実は、夢見ることや妄想することさえ不可能なのです。考えつく、思いつく、イメージできるということは、ゼロポイントにあるからです。常識で凝り固まった頭が否定するような、どんな突拍子もない考え方でさえも、現実化して観察するためにゼロポイントに「ただ、ある」のです。

ですから、あなたの肉体を、「この人生において必ず死なせる」という現実と、あるいは「無限に生かし続ける」という現実、このどちらの現実体験も重ねあわせでゼロポイントにあるわけです。あらゆる選択肢が平等に、ゼロポイントに「ただ、ある」のです。肉体の生と死も、常に今この瞬間に重ね合わせ状態になっていますが、あなたが何かを選択し、決意した瞬間、その共存状態がバランスを崩して、どれか一つに決まってしまう。

もし、あなたが無限のいのちの肉体を「選択」しない場合、その現実の可能性は、ゼロポイントに重ねあわせで積み重なったまま、いっさい観察されない。私たちが「観察する」という意識がなければ、その現実は起こらないのです。つまり、「選択」して決意しなければ、不老不死の肉体は実際には創られないし、私たちがそれを体験することはできなくなる。ゆりかごから墓場までといったような「直線的な流れ」が時間の本質ではないから、全ての現実の時が「点」として、ゼロポイントに折りたたまれて今ここに存在しています。

私たちの意識の本質は、知らないことに興味を持ったり、疑問を持ったり、まだ体験していない物事を実体験したがります。常識に従って生きるだけでは、その本質的な欲求を満たしてあげることができず、結果としてあまりワクワクしませんし、つまらない気分になり、生きることにうんざりする日々になってしまいます。自らの自立した意志で、誰の価値観にも左右されず、いかなるプログラムにも左右されず、常識にも固定されず、純粋に自由に選択して決めることがとても大切です。

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