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本当の自分 [真実]



現実とは幻想である。だが、なかなか消えようとしない。・・・人間とは宇宙と呼ばれる全体の一部であり、それが時間と空間で区切られているに過ぎない。人は自身の思考・感情を、それ以外と分けて経験するが、それは自己の意識が作り出す、ある種の視覚的な錯覚に過ぎない。こういった錯覚は一種の牢獄のようなもので、個人的な欲求や、すぐ近くにいるごく少数の人々への愛情を制限する。私たちの使命は自身をこの牢獄から解き放つこと、そのため思いやりの輪を広げ、生きとし生けるものと自然全体の美しさを受け入れることでなければならない。

あなた自身はあらゆるもの、自覚されたすべてなのです。
こんな喩えはとってもわかりやすい。水の一滴は分離の感覚です。他と切り離された「個」としての私です。その一滴を海に落とせば、どこから海で、どれが「自分」である滴なのか区別がつきません。始まりも終わりもない。αもΩもない。すべては一つ。あるのは「無限の私」だけ。荒れ狂っていても、凪いでいても海は海。同じワンネス(全一)です。私たちは常に海であり、常に「無限の認識」なのです。ただひとたび自分が何者であるかを忘れてしまうと、混乱して分離の感覚に陥り、孤立した一滴になってしまう。その感覚が心の中に作り出す小さなレンズを通して現実を見ると、世界はとても狂って貧相なものに知覚してしまう。

せっかく無限大の大海(認識)なのに自分を小さくちっぽけなものにしているのは、外からの働きかけが強力だということもあります。私たちを統一体ではなく一部品であると知覚させている元凶は、私たちの現実感覚を大規模に操作する者です。肉体という名の乗り物を「私」だと認識するように誘導しているのです。本来の「私」は、「神」と呼んでもおかしくない存在なのに、まやかしの肉体コンピュータの中に飼いならされて、いともたやすく監禁されてしまっているのです。

私たちは本来の自分で考えるより、肉体に考えさせています。肉体=自分ではないのに、その幻想の虜になっています。すべて肉体コンピュータの思考や感情なのに、それを自分だと信じ込んでしまっている。アインシュタインも言っています。「人間の真価は、コンピュータの自己からどれだけ解放されたかによって決まる」

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