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「私」とは何か [真実]


「私」とは何か



あなたはいったい何なのでしょうか。あなたは純粋な目覚めた意識です。これがあなたの本質です。それ以外はすべて、神からの分離を信じる考え方の現れです。それ以外の定義はすべて、ものには始まりと終わりがあるという考え方に、あなたを縛り付けるものです。それ以外の定義を信じると、そこから生まれた人間観や世界観にしたがって、人は、この地球の二極性を形成するプラスとマイナスの両極のあいだを、情容赦なく行ったり来たりさせられることになります。

人は無限の存在です。すべての偉大な覚醒者は繰り返し、限界というものは存在しないと述べます。あなたに限界を設けたのはあなた自身です。限界は狭い心から生まれ、神から分離した意識が生み出します。限界には始まりと終わりがあります。始まりや終わりがあるものはどれも、あなたの本質ではありません。確かに、人間が今この地球界にいるのは、一時的に神との分離意識を現象化するためです。ところが人は、神から分離という幻影に支配される思考の世界にはまり込んでしまい、そこから抜け出せなくなっています。あなたのなかやまわりで起こっている唯一の事、この地球全体を通して起こっている唯一のこと、この創造界のあらゆるものに起こっている唯一のこと、それは「エネルギーの動き」です。それだけなのです。

一瞬立ち止まって、自分の考えていることを観察してみると、自分の狭い心のつまらなさに行き当たります。分離意識のなかで生きて行くためには、大部分の時間、自分が何を考えているかにまったく気づかないでいる必要があります。家を出て、目的地と反対方角のスーパーにいる自分を発見したりすることがあるでしょう。人と話している最中に、話をいったんやめて、自分が何を言ったか考えてごらんなさい。大抵の人は思い出せません。

思考には永続性がない---そのほとんどはつまらないものだ---と知っているので、自分の思考のなかに意識がないのです。ここで私は、アインシュタインが提起したような偉大な理論をも、つまらないものだとあえて言っているのでしょうか。そう、自分の本質を感じることに比べたら、どんな偉大な思想もすべてつまらないものです。あなた方は、たえまなく他人や自分をあれこれ批判したり裁いたりするという、つまらない思考パターンにとらわれています。このたえまない価値判断は果てしなく続き、他人に比べて自分はどうか、常に何らかの評価をくだそうとしています。ですから、このつまらない思考の産物が、限りなく生まれては消えるのが生きることのすべてだとしたら、このまま生きて行く価値はないのではないかと感じて、人はイライラするのです。そう気づくと、まるで牢獄に閉じ込められたような気がしてきます。このような見方と、「あなたは無限の存在だ」という言葉とを、どのように両立させることができるでしょうか。

あなた方に唯一の解決策を教えることはできません。道はたくさんあるからです。何にも増して、自分を制限するものから自由になりたいという想いに、心を激しく燃やすことのできる道が見つかったら、どうか全力で傾けてその道を歩んでください。自由への道は人間の数だけあります。人は生きてきた道はそれぞれですし、意識はそれぞれ独自の人生経験を持っています。すべての人は、自分がどこへ行こうとしているのか、ちゃんと知っています。

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