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意識を今に [願望実現]

人生でこれまで「まま子扱い」されてきた、「肉体」と呼ぶものに対して、あなたが好感を持ってほしいと思います。あなたの肉体ほど従順で忠実な召使はかつていませんでした。これほど喜んで仕事に励んだ召使いはかつていませんでした。これほど喜んで仕事に励んだ召使はほかにはいません。それなのに、まるで自分の肉体が自分のものでなかったらいいのに、というような態度が見られます。そして、ほとんどいつも自分の肉体に満足していません。若すぎるか年を取りすぎている、太り過ぎてるか痩せすぎている、背が高すぎるか低すぎる・・・いつも何か不満を持っています。肉体があなたから受け取る言葉は、「ありがとう。本当にありがとう。歩いたり、話したり、見たりできることに感謝しています」というものでは決してありません。いつも不平や非難です。肉体がいつも聞かされるのは、「まあ、これを見て、何てひどい。ダメねぇ」というものです。細胞は自分たちはダメなのだというメッセージを受け取りますが、間違っているのは、本当はあなたのほうなのです。

肉体は、なじみのない困難な状況のもとでも、あなたに気に入られようと努力します。けれども同時に肉体は、究極的にはあなたを喜ばすことは不可能なことを知っています。あなたの究極的な命令は、「年を取るな」というものだからです。

肉体は、自分は年老いた状態で完了するということを知っています。病気で体が動かず、衰えきっているという状態ではなく、生きる喜びに溢れて、ダイナミックで前向きの姿勢で年を取っているという状態です。「旅も終わりに近い。いい気分だ。うまくいっている。行くべきところにこれから行くのだ」ということです。

50歳なのに20歳にしか見えないとしたら、どこかが本当におかしいのです。そして、そう見られたいと思っているのなら、あなたは肉体の自然に反することを望んでいるわけです。そういう人は肉体に対して常に、「それではダメだ」というメッセージを送っています。そうすると、細胞はどんどん緊張していきます。この世で生き抜いていく不安を感じているあなたは、自分の頭は「ちゃんとやれる」だろうと感じているので、ますます思考に頼ろうとします。そこで頭は肉体がどう「感じて」いるかにはまったくお構いなく、肉体がどうすべきかを決定します。肉体は何かを創るために「考え」ませんが、頭は考えます。肉体はそれ自体の自然のリズムを持っていて、それが肉体をきちんと導いているのだということを、頭は「忘れて」しまうのです。


人は、ほかの召使いに対しては、親切で温かく感謝の気持ちを持って接するのに、最も身近な召使である肉体に対しては、そうした思いやりはまったく見せません。肉体に与えるメッセージの内容を変えると、肉体は緊張を解くようになるでしょう。リラックスして、本来のあるべき道筋を歩けるようにしてください。神は肉体の感覚を通して体験することができます。ですから、今日やるべきことは二つあります。

先ず第一に、あなたの意識が肉体のなかになく、体が感じていることを常に意識していなかったら、神を感じることはできません。

第二に、自分が存在することの不思議やすばらしさ、今この世にこうして自分がいることの完璧さや適切さを感じるのは、あなたの頭脳ではありません。それは肉体のすみずみにまで響き渡る感覚なのです。

あなたが今この空間尾なかにいることは、まさに「ふさわしい」のです。人それぞれが、大いなる全体性のなかで独自の位置を占めており、それぞれが自分の居場所の適切さを実感することが、人生に喜びをもたらします。自分のいる場所が、自分にとって適切なものだと感じると、人生の喜びやすばらしさや神秘を体験できるようになり、ほかの人間が何を言おうと、どうでもよくなります。

神の存在のパワーを感じたことがある人もいます。そういう人は、大きな悩みや不安や困難に直面しているときに、神の助けを求めたら、平安が突然心を包み、再び生きていく力が出てきて、するべきことができるようになったという経験をしています。自分のまわりにあるエネルギーが、前よりも強く振動しはじめて、それを感じることができるようになり、それがその人を支え励ましてくれるのです。

肉体は、あなたが空間と呼ぶエネルギー域のなかに一定の空間を切り開いています。こうして切り開かれた空間は、あなたのまわりで生き生きと息づいています。今日一日を過ごすなかで、自分が「無」と呼ぶものと、自分の肌がどこで接し、どこで「無」を通り抜けているのかを感じてみてください。

あなた方が「無」と呼ぶものは、私が「満たされたもの」と呼ぶものです。みなさんにとっては無と空間は同じものですが、私にとっては空間は満たされています。自分の肉体を、神秘に満ちた物質のなかを動いていくものとして感じるようにしてください。人が求めているものはすべて、まわりの空間のなかにあります。自分にとって最もふさわしい空間のなかに、自分はしっかりと守られて在るのだということに気づくと、あなたの「存在」はリラックスします。

このことに気づくため、床の上にある自分の足に意識を向けることをしてもらいます。では、立ち上がって、自分の全意識を足に向けてください。そしてゆっくりと静かに体を前後にゆすって、それから左右にゆすり、そしてまた、前後にゆすりましょう。体をゆすりながら、自分がゆすっている対象が何かあるのだ、ということを感じるようにしてください。片側に、そしてその反対側にも何かがあります。自分の足がしっかりと床についているのを感じることを忘れないでください。

歩いているときは、この物質のなかを自分が通り過ぎているのだというつもりで歩いてください。手を動かすときに、何かすばらしいものを押しやっているかのように感じてください。自分の息が、まわりの空気を優しくなでているのを感じてください。それは、実にいのちに溢れたものなので、そういうふうに感じてほしいのです。これが神の存在を感じる練習と呼ばれるものです。当然ながら、神の存在を感じる練習をするには、あなたの意識は今ここになければなりません。

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