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死とは肉体という幻想から解放され、生まれ変わること。 [真実]


死とは肉体という幻想から解放され、生まれ変わること。

男か女かは、ただ単に体内の電気化学的な(男性ホルモンのテストステロンか女性ホルモンのエストロゲン)ソフトウェアプログラムの表出に過ぎない。「無限の認識」のレベルでは、人は男でも女でもなく両者が調和した存在です。自分が男だとか女だとかいうことは、自分をコンピューターレベルに落とし込んでいることなのです。そうしたことは、自分が何者かというのではなく、自分が「経験している」という点が大事なのです。

肉体コンピューターを介して私たちの「無限の認識」は、この現実を体験しています。低レベルの認識は、ついコンピューターを自己識別だと思い込んでしまう。しかし、コンピューターが活動を停止して肉体が死ぬと私たちの認識は幻想から解き放たれ、本来の自分を取り戻すプロセスが始まります。けれど、せっかく肉体から解放された真のアイデンティティに気づかないで、いまだ肉体という「自己の残存イメージ」にこだわり、地面すれすれの、この世に近いところで踊る幽霊として漂う例もあります。

死は究極の恐怖だと洗脳し続けてきたのは宗教です。死の恐怖があるために、「大いなる秘密」を暴けるという時にも人は沈黙する。医者や聖職者の奴隷となってでも生き続けたい、永遠の地獄など行きたくないと願う。こんな心配は無用です。永遠の命を探し求める必要などありません。なぜならそんなものはすでに持っているからです。問うべきは、どんな種類の永遠の命かということです。死とは、実はある命から別の命への継ぎ目のない移行なのです。死とは肉体コンピューターからの撤退に過ぎません。私たちは、その後も別の領域の現実の中で存在を続けるのです。限りある肉体という幻想から解き放たれ、生まれ変わるだけなのです。私たちは「無限の全体」なのですから、この領域から去ることは決してないし、分離という意識も、この混乱した世界における幻想の一部でしかないのです。

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